3.代表者のプロフィール
20世紀のちょうど真ん中1951年9月に福岡市博多区美野島で産声を上げるも、数ヵ月後には現在の地(博多区奈良屋校区)に引越し、物心がついた頃にはもう、山笠・どんたくの世界。地元を離れたことがないため、一度は一人だけの生活に憧れ、大学の頃に1年間、無理やり下宿生活を断行。
大学〜大学院の時代にはアルバイトをしまくり、麻雀の稼ぎと合せて学費の殆どを自分で賄った。数多くやったアルバイトの中でメインのものが2つ。1つはNHKの報道課で6年間やったアルバイトで、元々典型的な理科系の自分にとって極めて勉強になった。現場の取材記者の方から電話でニュース原稿を受けデスクにまわす仕事や他の都道府県の局と“テレタイプ”でニュース原稿のやり取りをしたり、天気予報のテロップを作ったり、選挙の時は市の選挙管理委員会に行ったりスタジオに入ったりして、いい経験をさせて頂きました。この間、NHKの職員の方たちもいろいろと転勤で入れ替わりましたが、現高知県知事の橋本大二郎さんや一時NHKの朝の顔になられた曽我健さん、また、アナウンサーの草野さん、羽佐間さん、明石さんたちがおられました。
もう1つのメインのアルバイトは中学校の夜警のアルバイトで、友人と数人でローテーションを組み夕方から早朝まで泊り込み、夜は見回り、朝は6時頃に校門を開けるといった仕事で、これも4〜5年間やりました。学校の夜はかなり不気味でしたが、見回った後こっそり抜け出して、近くの屋台でラーメンと豚足を食べ焼酎を飲むのが楽しみでした。(中学校の方スミマセンでした。もう時効ですね)
社会に出てからは30歳までは結婚するつもりがなく、のんべんだらりと親不孝な生活を続けていましたが、20代の終わりがけに今のカミさんと運命的な出会いがあり(そんな大げさなものではない)、30歳直前に結婚しました。現在、女・女・男の3人の子供がいますが、気が付くと本人はもう完全な中年のオジサンです。
子供が保育園のお世話になっている頃、成り行きで“父の会”にお会長するはめになってしまいました。これが地域活動への入り口で、子供が小学校に入った頃に“校区まちづくり協議会”、その次にPTA会長〜100周年委員会の委員長などを経験しました。正直な話、相当たいへんでしたが、たいへんだった分勉強になったこと、見に付いたことが多かったです。上記のNHKのアルバイトと同様、それまであまり首を突っ込んだことのない世界でしたからいい経験になりました。現在は地域のオヤジの会である“はっぱの会”のことを主にやっています。
ずっと地元にいると、なんとはなしに同窓会のまとめ役・事務局のお鉢がまわってきます。順番にいうと、高校、中学、大学、小学校と学年の同窓会のそんな役をやってきました。最初の立ち上げがたいへんですが、立ち上げた後はいつも持ち回り幹事制(年1度か2年に一度の学年同窓会の開催)で運営していきますから負担はかなり減ります。小学校以外は既にそういう状態になっており、最近はまとめ役・事務局の役を他の人に譲ったりしています。でも、とにかく“友だち”はいいですねー。いくつになっても。
典型的な乙女座・A型の性格で、よくいえば几帳面ですが対象によって几帳面になることと大雑把になることがあります。誰でも同じと思いますが、気になること・こだわることとそうでないことがあるでしょう。自己分析してみても、また客観的にみてもそうだと思いますが上記のようなPTA会長などの団体或いは組織のトップにはむかず、むしろトップの人のサポートをするのが適役です。
趣味は、まず何といっても食べること。そして音楽、将棋、麻雀、ビデオ収集。食べることに関しては上等なものではなくいわゆるB級グルメです。ビデオ収集は殆どテレビの録画で、随分前から始め、当初は名画などを主に録っていましたが、ある時映画のビデオは将来また手に入れる機会があるはずと考え、それ以降はその時録らないと2度と手に入らないものを中心に録るという方針に切り替えました。現在、恐らく3,000本を超えており、大半は老後の楽しみにと思っているのですが、ちょっと多過ぎるかも・・・。ま、趣味の話に関しては「硬い話」、「柔らかい話」、「それなりの話」の中でも触れていきたいと思っています。
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